ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

あしあと

    市長のしあわせコラム(令和5年2月)

    • ID:19069

    戦争の犠牲者に想いを馳せ

     昨年11月のことになりますが、全国土地改良大会に出席するため1泊2日で沖縄に出張しました。1日目は完全な移動日だったため、団体行動ではなく私は早い時間のフライトで沖縄に入り、レンタカーを借りて沖縄戦跡をひとりでまわってきました。
     訪問したのは、沖縄陸軍病院南風原壕群20号、沖縄県平和祈念公園、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館、旧海軍司令部壕です。
     沖縄陸軍病院南風原壕群20号では、ひめゆり学徒が傷病兵のために命がけでご飯を運んだ「飯上げの道」、ジメジメとして天井も低く圧迫感と不快感いっぱいの壕内、壁や天井に残るアメリカ軍の火炎放射器による黒い焼け跡、さらに南部に移動するため動けない重症患者には青酸カリ入りの牛乳を飲ませられた話など、ガイドから説明を受けながら見学しました。
     スペースに限りがあるため、他の見学先について紹介できませんが、沖縄県民の4分の1が戦死したとされる沖縄戦の凄惨さに言葉を失いました。

     今年の元旦、尾関家の墓がある地元のお寺に年始の挨拶に伺い、その際、沖縄戦ではないですが、昭和19年に台湾東方の海上にて戦死した大叔父(祖父の弟)の墓前にて手を合わせました。
     沖縄戦跡をまわりながら、改めて戦争の犠牲になられた方に想いを馳せ、この瞬間にも戦火の下にあるウクライナのことを頭に浮かべ、穏やかに暮らすことのできる日本に感謝をし、これからも安寧な世が続くことを祈りました。

    沖縄県平和祈念公園にある平和の広場。
    中央には「平和の火」が設置されています。


    ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます