高賀神社
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高賀神社は、奈良時代(養老年間)の創立から平安時代(天歴年間)吉野時代(慶安年間)徳川時代(安永年間)と3回の再建がなされています。現在の本殿は約280年前に建立され、正面に向かって左に祀られている八幡神社は、本殿よりさらに約50年前に建立されています。ちなみに現在の高賀神社の宮司は39代目になります。
高賀神社の由来
高賀地区一帯に怪しい光りを放つ魔物がいて、日夜住民を困らせていた。これを聞いた朝廷は、藤原氏の家臣を討伐に向かわせ、まず、この山の麓に21の神々をまつり、17日間の退魔の祈祷を続けた。すると妖しい光を放つ魔物が姿を消した。住民は、皆々喜び、この山は「秀でて高き故まためでたい」という意味で「高賀山(こうかさん)」、神社を「高賀山大本神宮大行事神社」と名付けた。
その後、廷長の頃(920年代)また高賀山一帯に魔物(さるとらへび)が住みつき住民を困らせるようになる。時の朝廷の命を受け、藤原高光公は軍勢を率いて高賀山に向かったが、年月を重ねても討ち取ることができず、これは、神明の加護にすがるしかないと当宮に七昼夜悪魔退治の御祈願をして、遂にこの悪魔を退治することができ、山に平和が戻った。
そして再びこの山に悪魔が住みつかないように、山の麓に高賀神社をはじめ六社を建立して、守護神を祀ったという。
高賀六社
- 高賀山大本神宮(洞戸高賀)
- 高賀山星宮大明神(郡上市美並)
- 高賀山本宮大明神(郡上市八幡)
- 高賀山蔵王大明神(美濃市)
- 高賀山新宮大明神(郡上市八幡)
- 高賀山滝大明神(美濃市)
高賀神社23柱の神々
- 天之御中主尊(アメノミナカヌシノミコト)
- 国之常立尊(クニノトコタチノミコト)
- 國狭槌尊(クニサツチノミコト)
- 豊斟渟尊(トヨカシヌノノミコト)
- 泥土煮尊(ウイジジニノミコト)
- 沙土煮尊(スイジジニノミコト)
- 大戸道尊(オオトノジノミコト)
- 大戸辺尊(オオトノベノミコト)
- 面足尊(オモタルノミコト)
- 惶根尊(カシコネノミコト)
- 伊弉諾尊(イザナギノミコト)
- 伊弉冉尊(イザナミノミコト)
- 大日霊貴尊(オオヒルメムチノミコト)
- 忍穂耳尊(オシホミミノミコト)
- 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
- 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)
- 鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアヘヅノミコト)
- 天児屋根尊(アメノコヤネノミコト)
- 猿田彦尊(サルタヒコノミコト)
- 素戔嗚尊(スサノオノミコト)
- 大玉尊(オオダマノミコト)
- 金山彦尊(カナヤマヒコノミコト)
- 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
さるとらへびの伝説
ずっと大昔、都の御殿にかわいらしい男の子がいた。よく晴れた初夏のある日、男の子が元気よく遊んでいると、にわかに天気が急変、黒い雲のかたまりがあらわれ、あっという間に男の子をさらっていってしまいました。御殿は大騒ぎ。さっそく多くの武士たちが黒い雲の飛び去った東北の方角を追うことになった。武士の一行は黒い雲を追って高賀山へ。見ると夏にもかかわらずどの家もみんな戸を閉めて人影も見られない。聞くと、高賀の山には何とも得体の知れない魔物がいて、時折村にやってきては田畑を荒らすのだという。魔物の恐ろしさを知った武士たちは都へ使いを走らせて助けを呼んだ。帝の名を受けた藤原高光は、高賀へやってくると、麓に宮をたて、必勝を祈ると険しい山頂への道をたどりはじめました。そんなある日、高光は不思議な夢を見た。水の上か草原かわからないが、たくさんのひょうたんが揺れていて、どこからか「動かぬものを撃て」という声を聞いたのだ。高光は高賀の山続きの瓢ヶ岳をめざした。途中、ウナギの助けを借りて、頂上へあがった高光は、夢の通り、沼にたくさんのひょうたんが揺れているのを見た。その中に確かに一つだけじっと動かぬひょうたんがある。高光は素早く弓をとり、それをめがけて鋭く矢を放った。当たった瞬間、すごい叫びがあがったかと思うと、強い風が吹き、雷が鳴り出した。続いて第二、第三の矢が。高光は魔物がひるんだ好きを見て背中に飛び乗り、これを見事にしとめた。沼から引き上げてみると、頭はサル、身体はトラ、尻尾はヘビの形をした身の丈3メ-トルはあろうかという恐ろしい妖魔であった。
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