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武芸八幡宮

[2018年1月11日]

ID:11593

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武芸八幡宮のはじまり

武芸八幡宮

 養老元年(717)泰澄大師が、大碓命を祀ったのが始まりです。大碓命は、父・景行天皇(71~130)の命令を受けて、国造としてこの地方を治められた方です。美濃の美しい娘を妃にしたと伝えらえれますが、この地で亡くなられると八幡山に葬られたといわれています。
 その後いつの頃からか、応神天皇を神として、今日に至っています。
 観応2年(1351)森蘭丸の祖先にあたる森又太郎源泰朝が、社殿を再興しました。その後も森家とのつながりは深かったようで、蘭丸の父親・森可成の書状も保存されています。蘭丸は、織田信長が可愛がった小姓でしたが、本能寺の変で信長を守りながら最期を遂げました。
 このように信長・蘭丸共にゆかりの深い八幡宮らしく、八幡地区には今も「小田野」という小字名が残っています。信長は、毎年10月15日に代参を八幡宮へ送りました。その代参をお迎えした所の字名です。元は「織田野」でしたが、恐れ多いと、後に「小田野」に改められたのです。
 江戸時代に入ってからも笠松郡代から武芸谷十カ村の総社と定められ厚遇されました。

織田家と武芸八幡宮

 織田信長が、稲葉山城を攻略したのは、永禄10年(1567)です。合理的で進取の精神に富む信長は、井ノ口を岐阜と改め、稲葉山城を岐阜城としました。

 さらに、人心を治め経済の繁栄を図るために、楽市楽座を設けたり、主な寺社に禁制や安堵状を与えました。武芸八幡宮もその一つです。というのは、岐阜城からすると、丑寅といって北東の方角に当たり、鬼門鎮護として、重要な位置を占めていたからでしょう。

 織田信長が、この武芸八幡宮に安堵状を出したのは、永禄10年10月のことでどの寺社よりも早く、安堵状を届けました。その後、天正4年(1576)信長が近江の安土城へ移ると、岐阜城は長男の信忠に譲りました。その年の12月には、信忠も信長の意思を継いで、武芸八幡宮へ安堵状を与えています。

 ところが、天正10年(1582)、本能寺の変で信長・信忠親子が敢えない最後をとげると、岐阜城の実権は、織田信孝へ移ります。織田信長の三男であった信孝も、やはり領民の不安を鎮めるために寺社へ安堵状を与えています。武芸八幡宮へも天正10年(1582)7月に安堵状が出されました。

 この後、関ケ原合戦と共に岐阜城主としての織田家は滅んでしまいました。

 現在武芸八幡宮には、織田信長・信忠・信孝と三人の安堵状が保管されています。

第1鳥居

第1鳥居の写真

 武芸八幡宮の参道の始まりで、八幡集落の中心部にある第1の鳥居です。春の花馬まつり時には、お囃子、花馬がこの第1鳥居に集結し、隊列を整えて御旅所へ上っていきます。

第2鳥居

第2鳥居の写真

 御旅所横にある第2鳥居。花馬まつりでは、神輿がここをくぐって、本殿まで帰って行きます。ここから本殿へ続く参道が杉林となります。

御旅所

御旅所の写真

 花馬まつりの日だけ、本殿より御神体が神輿に載ってここまで旅をするので、御旅所といいます。ごの御旅所前で、花馬まつりがおこなわれます。

太鼓橋

太鼓橋の写真

 花馬まつりの日に、御神体を載せた神輿だけが通る橋です。

下馬標(岐阜県指定重要文化財)

下馬標の写真

 下馬標とは「これより奥へ行くには、馬や駕篭から降りて歩きなさい」という命令を下した標識です。社伝によると1570年ごろ織田信長が建立したと伝えられています。ちょうど信長が美濃を平定し岐阜城主であった時期にあたります。
 高さ1.5m、幅0.4mです。

随神門

随神門の写真

参道

参道の写真

 随神門から本殿へ続く参道です。両側に立ち並ぶ杉の大木は、往時の面影を残しています。

武芸八幡宮大杉(岐阜県指定天然記念物)

大杉の写真

 拝殿に向って左側、拝殿から約150mのところに神木といわれるひときわ大きな杉があります。目通6.7m、樹高38m、樹齢約千年といわれています。

鐘楼(関市指定有形文化財)

鐘楼

 武芸八幡宮の境内には、大聖寺という立派な寺がありました。十二坊を揃えていたという事と、多くの安堵状がこの大聖寺宛に出されている事から、格式の高い立派な寺であったと考えられます。明治の神仏分離令により、寺は壊されてしまいました。しかし、鐘楼だけは、今も残っています。この鐘楼は武芸川町で最も古い建築物とされています。

拝殿

拝殿の写真

 本殿の前には拝殿が、鬱蒼とした林中にひっそりとたたずんでいます。

本殿

本殿の写真

御朱印

 拝殿に、御朱印をあらかじめ押した用紙が用意されています。浄財を入れていただき、お持ち帰りいただだけるようになっています。
御朱印の写真
御朱印2

花馬まつり

花馬

 毎年、4月中旬(15日に近い日曜日)に行われます。笛太鼓の調べと共に、雅な神楽館と桜の造花で飾られた花馬が登場。その手綱が弛んだ途端、参道から祭り広場に花馬は駆け込みます。すると氏子や見物人が我先にと、この暴れる花馬の造花を奪い合うという、勇壮華麗な祭事です。
 この桜の造花を輪にして屋根に上げておくと、落雷防止や家庭隆盛になると言い伝えられています

所在地

岐阜県関市武芸川町八幡1712

アクセス

岐阜バス高美線 武芸八幡バス停より本殿まで徒歩約20分

パンフレットのダウンロード

武芸八幡宮のパンフレット

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お問い合わせ

関市 武芸川事務所
電話: 0575-46-2311 ファクス: 0575-46-3744

組織内ジャンル

協働推進部武芸川事務所(地域事務所)

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