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春日神社

[2014年3月25日]

ID:1507

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刀鍛冶の心のふるさと

春日神社の外観写真

関鍛冶七流とよばれたのは「善定」「奈良」「三阿弥」「徳永」「得印」「良賢」「室屋」の各流派。これらの流派は互いに技術を競いながらも、掟を定め、協力しながら刀造りに励みました。こうしたいわば合議制を可能にしたのは、彼らの多くが同じ大和鍛冶の出身者として、故郷を一つにしていたからかもしれません。
それを物語るものとして共通の信仰がありました。正応元年(1288年)金重と兼永は関鍛冶を総代して、奈良の春日大明神を勧請して関鍛冶の守護神としたのです。故郷から遠く離れた山間僻地に故郷の神を祀ることで、刀匠たちは大和への熱い想いをたぎらせていたにちがいありません。そして、それと同時に刀業を繁栄させ、都を思わす香り高い文化の華がこの新天地に咲くことを祈り続けていたのです。室町時代、都で能が流行するといちはやくこれを取り入れ、境内に能舞台を建立したのも、そうした心情のあらわれだったといえましょう。
春日神社は永享5年(1433年)初代孫六兼幸が願主となって同じ地に再建されます。以来、歴史の変動にあいながらも変わることなく、関鍛冶の心のふるさとの役割を果たし続けているのです。

悠久な時間の流れ 宴能

宴能の写真

刀鍛冶の繁栄は文化の面にも微妙な影をなげかけました。そのもっとも顕著な例が能楽の催しです。室町時代、能は日本の舞台芸術として大和を中心に発達していきますが、大和出身の刀匠が見のがす道理はありません。春日神社の境内に桧皮葺きの能舞台を創建すると、毎年正月、祭事能として奉納するようになったのです。
記録によれば応永2年(1395年)兼吉清治郎が関七流を代表して翁役を勤めたのが始まりとか。それ以来幕末にいたるまで、華やかな武家社会の能楽がこの山国で演じられてきたのです。

能面の写真

美しい能装束に身をつつみ面に隠してひたすらに舞う鍛冶の人々。現在、春日神社の神宝殿にはそうしたいにしえの情景をしのばせる能面と能装束が残っています。いずれも室町初期から桃山期にかけてのものです。中でも61点の能面には室町の名工赤鶴吉成や石川重政の作品もあり国の重要文化財になっています。さらに63点の能装束は国の重要文化財に指定されており、関市の誇る宝物の一つとなっています。
刀鍛冶の影響は関の文化にとどまりません。日本の日常言葉にもその反映が見られるのです。「そりが合わない」「しのぎを削る」「目抜き通り」「鍔ぜりあい」・・・鍛冶職が往時の日本でいかに隆盛を誇っていたかを暗示するものとはいえないでしょうか。10月刃物まつり期間の日曜日には、能面、能装束が公開されます。

公開日

10月(刃物まつりの期間の日曜日)

場所

春日神社 (電話)代表:0575-22-0570
関市南春日町1

アクセス

  • 長良川鉄道・刃物会館前駅下車・徒歩約5分
  • 東海北陸自動車道 関インターから車で約5分

お問い合わせ

春日神社 (電話)代表:0575-22-0570

組織内ジャンル

協働推進部文化課(桜本町2丁目30-1 文化会館内)

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