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    弥勒寺遺跡群へようこそ!〜郡庁院〜

    • ID:22381

    ※このページは「弥勒寺遺跡群」現地解説ページです。関市池尻「弥勒寺史跡公園」にある看板の二次元コードからアクセスしている方に向けて解説しています。

    弥勒寺遺跡群 − 弥勒寺官衙遺跡 − 郡庁院

    イメージ図

    約1300年前のイメージ図〜弥勒寺官衙遺跡・郡庁院〜

    ひろまろくん

    奈良時代には、建物が左右対称に5棟整備されていました。
    郡の政治の中心的な施設があった場所です。

    遺跡のポイント

    プロフィール
    遺跡の名前弥勒寺官衙遺跡(みろくじかんがいせき)
    └郡庁院区域(ぐんちょういんくいき)
    時代奈良時代〜平安時代
    役割古代武義郡の郡役所
    立地東と南は長良川に面し、北に池尻山がある
    長良川は南門から至近距離にある
    西には仏教寺院(弥勒寺跡)
    遺構(遺跡)の特徴建物や塀が、規則正しく配置されていました。
    ・東西約50m、南北約60mの塀
    ・5棟の建物(時代によって変化)
    ・長良川に面した南門
    特徴的な出土品役人が文字を書くのに使った道具などが見つかっています。
    ・円面硯=役人が使った硯
    ・転用硯=土器等を硯に転用したもの
    ・墨書土器=墨で文字が書かれた土器
    ひろまろくん

    5棟の建物があり、正殿を中心に東西に脇殿と脇殿北棟が左右対称に並んでいました。
    正殿と両脇殿が「品」の字を描く整然とした並びは、国衙(国の役所=現在の県庁)ではよくみられますが、郡衙(郡役所)としては全国的にみても珍しい配置です。

    「郡庁院」は、こんな遺跡です。

     今いる場所は、弥勒寺官衙遺跡(弥勒寺東遺跡)郡庁院区域です。看板のすぐ北に、南門と、東西にのびる塀があり、塀に囲まれた中に建物がありました。

     ここは、奈良時代から平安時代にかけて、武義郡の政治の中心地でした。

     「官衙(かんが)」とは古代の役所のこと、「郡庁」とは政治をおこなう施設のことで、郡庁の建物が集まっているため「郡庁院」と呼ばれます。

     公園にある丸太の柱は、発掘調査で柱跡が見つかった場所に立っています。柱の太さは、柱穴の大きさを表しています。柱の周囲の砂利敷は建物のおおよその範囲で、中心の建物=正殿(せいでん)が、柱も建物も最も大きかったことが分かります。

     正殿の前には東西に脇殿があり、南門との間に約30メートル四方の広い空間があります。この時代、都の宮殿でも中心建物の前には広場があり、そこに役人が並んで儀式をおこなっていました。郡役所でどのような催しがあったのかは記録に残っていませんが、都と同様に儀式や宴などをおこなうための空間だったと考えられています。

    三段階の「郡庁院」

     発掘調査をすると、同じ場所からいくつかの遺跡・遺構が重なって見つかることがあります。ここでも、何度か建物が建て替えられた形跡が見つかっていて、郡庁院としては大きく3つの時期にわけています。

     役所ができた最初の時期(1期)は、上のイメージ図のように、掘立柱塀に囲まれた中に掘立柱建物が5棟あったようです。今、丸太が立っているところは、この時期の建物を表しています。中央に正殿があり、その前に東西の脇殿、両脇殿の北に脇殿北棟がありました。柱穴の大きさ・建物の範囲ともに、正殿が最も大きく、脇殿、脇殿北棟の順に小さくなっています。

     次の段階(2期)では、正殿が建て替えられ、塀の範囲も拡大しています。正殿は、南に廂(ひさし)がついた建物になりました。脇殿北棟は、2期〜3期にはなかったようです。

     最終段階(3期)には、正殿と東脇殿が礎石建物に建て替えられています(西脇殿は不明)。礎石建物は礎石の上に柱を置く建築方法で、地面に直接柱を立てる掘立柱建物より長持ちしますが、柱の上部の組物で建物の構造を支える技術が必要です。また、正殿には南北両面に廂がついて、建物が立派になっていった様子がうかがえます。

     なお、郡庁院区域からは瓦が見つかっていません。屋根には3期を通して檜皮や茅、板葺きなど植物性の素材が使われていたようです。

    「弥勒寺遺跡群」の全体像

    現在地

    弥勒寺遺跡群は、東と南を長良川に、北を池尻山に面して、東西800メートルほどの範囲にまとまっています。
     
    <★現在地>が、二次元コードの設置場所です。

     弥勒寺遺跡群には、弥勒寺官衙遺跡<現在地>、弥勒寺跡、弥勒寺西遺跡、池尻大塚古墳の4つの遺跡があり、それぞれ別の役割を持っています。

    • 弥勒寺官衙遺跡(みろくじかんがいせき)=古代の郡役所の遺跡
    • 弥勒寺跡(みろくじあと)=飛鳥時代につくられた寺院の遺跡
    • 弥勒寺西遺跡(みろくじにしいせき)=古代の祭祀(さいし)の遺跡
    • 池尻大塚古墳(いけじりおおつかこふん)=古墳時代後期の古墳

     弥勒寺遺跡群がある関市池尻は、今から約1300年前の奈良時代から平安時代にかけて、美濃国武義郡の政治の中心地でした。奈良時代は、日本で「政治」が始まった時代です。中央の天皇のもと、各地に国・郡が置かれました。美濃国は現在の岐阜県美濃地方、武義郡は現在の関市、美濃市、郡上市(9世紀半ばに郡上郡ができるまで)のあたりです。

     弥勒寺遺跡群は、地方政治の中枢である役所と、政治と関わりの深かった仏教寺院、日本古来の儀式を営む場が、東西に並んで発見されています。さらに、武義郡の成立に関わった「ムゲツ」一族の先祖のお墓もあり、この時代の地方の遺跡がまとまって残る貴重な遺跡群です。

    ▼遺跡群年表▼

    年表

    ひろまろくんの「郡庁院」Q&A

    ひろまろくん

    弥勒寺遺跡群イメージキャラクター「ひろまろくん」

    古代武義郡で働く役人をイメージしたキャラクターです。
    弥勒寺西遺跡で出土した土器に墨で書かれた「廣万呂」にちなんで名付けられました。

    芝生の中に立っている丸太は何のため?

    ひろまろくん

    丸太の柱は、昔の建物の柱があった場所に立っています。柱の太さは、発掘調査で見つかった柱跡を基準にしています。

     発掘調査で、正面の建物(正殿)、左右手前の建物(脇殿)、左右奥の建物(脇殿北棟)の順に、使っている柱が小さくなることが分かりました。丸太柱は、当時の柱の大きさをあらわしています。また、芝生の中の砂利敷きの場所は、建物の範囲を想定しています。建物や柱の大きさから、正殿が一番重要な建物だったことが分かります。

     郡庁院では建て替えがおこなわれていますが、丸太柱や砂利敷きであらわしているのは、役所が成立した奈良時代はじめ(1期)の様子です。

    さらにくわしく知りたい方へ

    お問い合わせ

    関市協働推進部 文化課

    文化財保護センター

    〒501-2695 岐阜県関市

    武芸川町八幡1446番地1

    (武芸川事務所2階)

    電話:0575-45-0500

    ファクス:0575-46-1221


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